子役の演技に釘付け
二人の子役の演技から目が離せなかった作品。
妻を理不尽な交通事故で亡くした夫ヘス(メル・ギブソン)は、神を信じられなくなり、牧師を辞め、長男、長女、弟とともにつつましく暮らしていました。
(ところでこの弟、どことなく石原良純の若い頃に似ているような気が。マイナーリーグの投手だったという設定で、これが最後に「効く」。)
ヘスのトウモロコシ畑にミステリーサークルが現れたことから、物語は始まります。
ミステリーサークルはここだけでなく、世界中に広がっており、当初のイタズラ説は、あっという間に払拭され、挙句は宇宙人の映像まで流れる始末。
この宇宙人が、なんというか、裸の人間がピッタリしたナイロンスーツで全身を覆っているような格好で、不気味で、すばしっこいのだけれど「知的」には見えないんですよね。
ミステリーサークルは宇宙船の誘導用ということでしたが、宇宙船に乗って地球にやってくるような(それもただ「人間を食べる」ために?)高度な科学力を持っているようには、とても見えませんでした。
しかもそんな彼らの弱点が「水」。
彼らの科学力をもってすれば、「水」を避けることくらい容易でしょう。
幼い娘が「水が汚染されている」「古い味がする」などと言って、常にあちこちに水の入ったコップを置いており、その水(と、弟の記念バット)が宇宙人を撃退するのです。
サインとは「宇宙人のサイン」の意味かと思っていたが、どうやら「神のサイン」ということだったようです。
ヘスが車の中で弟メリル(ホアキン・フェニックス)に語るシーンが物語の『核』
人間は2つのグループに分けられる。
幸運に出会うとーそれを幸運や偶然以上のものと考えー神のサイン(啓示)ととらえる人々。
「神が自分を見守っている証拠だ」と解釈するんだ。
2番目のグループは「ただの幸運」、「運がよかった」と思うだけ。(中略)
「先がどうなるかは五分五分」、「悪い前兆か、いい前兆か」ーとにかく心の底ではこう思ってる「所詮この世は自分だけ」。それが彼らの心を恐怖で満たす。
このあと「大多数の人間は1番目のグループ(キリスト教徒が多いからでしょうか)であるとし、
そして何が起ころうとも「助けてくれる誰かがいる」と。
そこに希望が生まれる。
妻の理不尽な事故死も、長男の喘息も、偶然ではなく、神の導きだったということでしょうか?
結局「神の存在」を肯定するドラマだったのですね。
無神論と言うか不可知論者(?)の私としては、
ここまで強い信念をもちえる人たちが羨ましくもあります。
20年以上前の映画ですから、子役たちも当然大人になっています。
長男モーガン役はロリー・カルキン、長女ボー役はアビゲイル・ブレスリン、二人とも現在も活躍しているようです。