ロング,ロング・・・その意味
プライドと偏見 のベネット氏(主人公の父親)役のトマス・サザーランド が気になり、彼の出演作の中から次に観たのは・・・
Long,long vacation
特に意味深なタイトルだとは思わず観始めたのですが・・・最後になってLong,longとlongを重ねていることの意味がのみこめました。
日本語で言うと「永遠の眠り」に近いかもしれません。Eternal sleepという英語もありますが、それだと直截すぎるのでしょう。
ストーリーは、末期ガンの妻と元英文学者でアルツハイマーの夫が、キャンピングカーでヘミングウェイの生家を訪ねる旅に出るというもの。
道中の様々なアクシデントやハプニングがユーモラスに綴られていますが、時に考えさせられたり、ホロリとさせられたり・・・
遭遇した強盗を、妻は機転を利かせてライフルで撃退。「やったね!」とスカッとしたシーンの直後、妻はライフルから実弾を取り出し投げ捨てますー何だか暗示的。
認知症高齢者が運転、それもキャンピングカーをですから、近所に買い物に行くのとは勝手が違います。当然ながら長男は「事故でも起こしたら!」と居ても立ってもいられないほど心配しますが、一方長女は「止めても無理、好きにさせたら」。
話の本筋からは逸れるのですが、仕事柄、認知症に関わってきた経験から、ついついその描き方に過度に目がいってしまいます。
手続き記憶である運転操作自体はアルツハイマーになっても可能ですが、運転に伴う様々な(それも瞬時の)判断は困難でしょう。たんに「次の信号右」とナビするだけでは目的地まで無事に辿り着けるとは思えません。(もちろん《無事》ではなかったですが、《交通事故》は起こしていない)
アメリカでも「認知症高齢者の運転」は社会問題になっていると思いますが、この映画ではその点にはあまり言及せず、精々「長男の心配」程度。
(すぐに警察に連絡すれば、それほど遠くまで行かないうちに発見され、連れ戻されるでしょうーそれじゃお話になりませんから、仕方ない設定ですね)
時と場合によって、ほぼ正常だったり、何もわからないほど混乱していたり、も振れ幅が大きすぎますが、そこも映画なので、わかりやすく表現したのでしょう。
でもひとつだけ、「それは絶対ありえない!」と思ったシーンが。
偶然再会した元教え子の名前を憶えていたのは、充分ありえますが、その場で紹介された二人の子どもの名前を記憶するのは無理。まして立ち話の後の別れ際に「バイ〇〇、バイ〇〇」と名前をよびながら手を振るのは・・・
ドキッとさせられた場面も。
夫が、「初恋の相手を今でも思っているんだろう」と妻にライフルを向けるシーン。
「その男のところへ連れていけ」と脅すシーン。
普段穏やかな夫だけにその豹変ぶりに驚きますが、それも「認知症の妄想」という設定なのでしょうか。
実は・・・この二つのシーン、小道具こそライフルではありませんが、私の身近なところで実際に起こったことでもあり、洋の東西を問わないのだなぁと変なところに感心。
(-とここで、ようのとうざい を とうのようざい 打ってしまい、適切な漢字に変換されないことに「あれ?」「あれ?」と焦り・・・ようやくマチガイに気付いて無事変換。かなりヤバイ、私も認知症に足踏み入れているかも?)
ところで、夫が浮気(それも妻が妊娠中に隣人の奥さんと)していたというエピソードは必要だったのかなぁ?
男だったら浮気のひとつやふたつはアタリマエというステレオタイプな描き方は気になります。
もし2年も続いていたなら、その間に妻が気付かないことはありえないし、「昔」そういうことがあったけれど、許して「今」があるというのならわかるけれど、
今が今になって発覚し、しかも相手が隣人であり親友でもあると知った妻はショックのあまり、夫を捨てかけるのに、思い直して夫を許し、より大きな愛で包み込むーそんなに簡単に割り切れるものじゃないと思うんだけどなぁ。
最終的には精神的にも肉体的にも結ばれ・・・
結果、ふたりで長い、長い(永遠の)休暇に入る―
余命いくばくもない妻が、自分亡き後の夫の行く末を心配したのでしょうが、妻による無理心中には違いありません。
「娘、息子に迷惑をかけたくない」という気持ちはわかりますが、二人は父を愛していたし、自分たちでの介護は無理でも、相応しい施設を選べば、好きな文学談義を繰り返しながら、穏やかな最期を迎えることもできたはず。
役中のトマス・サザーランドは、亡くなった認知症の知人と雰囲気が似ていて、切ない気持ちにもなりました。
とはいえ、私がこの妻だったら・・・やっぱり夫を・・・道連れ・・・にしたい・・・か・・・な・・・